四の巻:独自の法律「仮名目録」の制定
戦国の世は、室町幕府の時代であった。
幕府の権威失墜にともない、戦国大名の中には、領内だけに通用する法律「分国法」を制定するものがでてきた。
大永六年(1526)四月、今川氏親は、分国法「仮名目録」(詳細はこちら)を制定した。全文三十三状からなる領国支配の規範を細かく定めたものである。一部を要約する。
天文21年(1552)11月、氏親の子義元は「仮名目録追加」で、新たに二十一条を加えた。追加条文は家臣統制の規定が増えており、氏親制定後26年の今川家領国経営拡大の経過を物語っている。
この二十条は「自分の力で国の法度を制定し、国を支配する。幕府・守護など無力である。」と言い切り、戦国大名としての義元の自負心がにじみでている。
「今川仮名目録」は、当時として最も革新的で完成度の高い法律と知られており、後の甲斐の武田信玄が定めた「甲州法度」に強い影響を与えた。そして、その後の徳川幕府の法度制定にも影響を与えたはずである。