今川仮名目録 (現代語訳) |
1.譜代の家臣の所領たる名田を地頭(註・主君たる一級上の領主)が正当な理由もなく没収することはすでに禁止してある。但し、年貢等が未納の場合はやむを得ざる場合として没収できる。
かねてまた、その名田よりの年貢を増やして地頭に納めるからその名田を占有したいと望むと申し出る者があるなら、現在の権利者の本百姓(註・本名主、この場合はもとからの権利者の譜代の家臣)に対して地頭から、申し出人と同額の年貢増分を受け入れるか否かを糾したうえ、不承知なら名田を没収して申し出人に与えることができる。
但し、地頭が本名主を取り換えるために、新名主(註・年責増の申し出人)と共謀して、年貢増の虚言を靖えるならば、地頭に対しては領地を没収し、共謀の新名主に対してはしかるべき罪科に處するものである。(註・今川家の法別で名高い条文である。
この条文の実在を証明する発給文書はいくつも知られている。このように元からの名主に対して年責増を条件に競望を許すというような政策は他の大名領国には例がなく、半数近い条文に今川法則の参照が指摘できる隣国の甲斐武田家の甲州法度にも採用されていない。
したがって、おそらく今川家独自の政策であると言われている。今日の競争入札と違って、現在の名主が過失がなく保有している土地の権利を、本人の意志とは無関係に、本人の参加を強制して競望者と競わせるというのであるから、現代の法感覚では考えられない乱暴な法津で、名王の権利の不安定がはなはだしかったはずである。
かなり急激に家臣犀が膨れ上がり、給すべき知行地が不足するのでこのようなことが考えだされたのであろう。)
1.田畑ならびに山林原野の境界に関する争論について、もとからの正しい境界をよくよく究明したうえで、原告あるいは被告の道理のない不当な謀訴であると判定された場合、その者の所領の三分の一が没収される。
このことはすでに先年に定めおいたことである。
1.もともと田畑であった土地が荒廃して河原や浜辺になっている土地を再度開望するについて、旧名主同志で填界の争いが生じた場合、その土地が年月を経てもとの境界が判定し難くなっているときは、双方が主張する境界の中間を新規の境界と定めるべきであるが、双方が不承知ならば、権利を没収して各々別の給人(註・別の名主、家臣に)与える。
1.訴訟中は権利が凍結されている土地を訴訟の半ばで実力行使して耕作し、あるいは他人の耕作を妨害することは、道理の有無に関わらず越度(註・違法)であることは旧法よりの定めである。
しかしながら、道理が明らかになって判決が確定した後にも、実力行使による答が子孫にまでおよぶことは不憫であろう 今より後は、判決後三ヶ年を経て、裁判をやりなおして、正当な権利者の権利を落着させるべきである。
1.古被宮人(註・譜代の家臣)を他の主人が本の主人に断りなく召し使うことは、すでに先規(註・今川家の以前からの個別法令)により禁止してある。
その場合は、かならず道理にまかせ、裁判によって身柄を引き受けるべきである。
かねてまた、本の主人がそのことを知って新主人に抗議した場合、家臣が罰を恐れて逐電(註・逃亡)したならば、新主人は別の被官人一人を代人として本主人に弁済すべきである。
1.譜代の家臣以外で自由に召し使っている被官人が逃亡した場合、二十年を経た後は・本主人は捜索し連れ戻しをしてはならない。
但し、過失を犯して逃亡した者についてはこの定めにはよらない。(註・本人の犯罪または過失によらない逃亡者の追求権は二十年で時効成立ということ。
但し、この時効は譜代の家臣には適用されない。)
1.夜中に他人の星敷の門より中に入り独りで佇むなどの輩は、知人でもなく、かねての約束による来訪でもないならば、とりあえず逮捕し、あるいは抵抗を受けてはからずも殺害したとしても、屋敷の主人の咎にはならない。
かねてまた、他人の屋敷の下女と婚姻した下人が、下女の主人に届け出せず、また同僚にも知らせずに、下女のもとに夜中に通ってくる場合、星敷の者が逮捕あるいは殺害におよんでも咎にはならない。(註・当時の婚姻の慣習で妻の住む家に夫が通う妻要問い通婚の場合といえば優雅に聞こえるが、夫婦とも奴隷身分では屋敷外に世帯はもてないのであろう。)
但し、逮捕して究明のうえ、下女に通婚のことが明らかになるならば、その者を分国(註・今川家の領地)から追放すべきである。(註・他の方法で勝手に処刑してはいけないということ)
1.喧嘩におよぶ輩は理非を論ぜず双方とも死罪に處すべきである。はたまた、相手から喧嘩を仕掛けられても堪忍してこらえ、その結果疵を受けるにおよんだ場合、喧嘩の原因を作ったことは非難すべきであるが、とりあえず穏便に振る舞ったことは道理にしたがった幸運として罪を免ぜられるべきである。
かねてまた、双方の与力(註・同心、寄騎、家臣、あるいは喧嘩の味方)の者が喧嘩の現場にいて疵を受けあるいは死亡したとしても、加害者に対して訴訟をおこすことができないことは先年に定めおいたところである。(註・同心、与力、寄騎については後の{かな目録追加)第二条を参照。)
次に喧嘩人の成敗(註・死刑)はとりあえず本人一人のみにかかることで、妻子家族にはかかわるべきものではない。
但し、本人が喧嘩の現場から逃亡した後は妻子等に咎がかかることもあり得るであろう。
しかしながら、その場合には死罪にまてすべきではなかろう。
(註・本人逃亡により家族等が身代わりで罰せられる場合のことと思われる。なお、原典の(しば)は現場の意味、しばを踏むとも言う。芝居の語源である。)
1.喧嘩の相手の詮議について、双方の方人(註・味方の関孫者)からさまざまに申し立てて、噂嘩の双方の張本人が明らかにならないことがある。
その場合、つまるところは喧嘩の現場にいて各々の一方に味方して走り回り、疵を受けたとしても、その者の罪科は張本人と同様に死罪におよぶべきである。 以後において張本人が露見した場合、その主人たる者の覚悟により処分すべきである。
(註・本人自らが張本人を匿ったのではないことを証明するために張本人を自ら処刑すべきである。)
1.被官人(註・家臣)の喧嘩ならびに盗賊行為の咎は主人には関わらないことは勿論である。しかしながら、喧嘩の子細が未だ明らかにならず、子細を詮議すべきなどと称してそのまま保護して抱えおくうちにその被官人が逃亡した場合は、主人の所領の一力所を没収すべきである。
所領が無い場合はしかるベき罪科に處するべきである。
1.子供の喧嘩の事、子供のことであるから是非の詮議におよばない。
但し、両方の親が制止すべきところ、喧嘩をけしかけ、あまつさえ鬱憤ばらしの行為におよぶなら、父子ともに同罪として処刑すべきである。
1.子供が誤って友人を殺害した場合、もともと意趣あってのことではないから処刑にはおよばない。
ただし、十五歳以後については咎を免れ難いであろう。
1.主人より地行を許された田畑の無思慮身勝手な売却はすでに禁止されている。
但し、やむを得ざる必要で売却したいならば、その子細を言上させ、買戻し特約の年期を定めて許可すべであろう。今より以後、わがまま勝手な売却は罪科に處す。
(註・今川家の場合、土地の売買は〈買戻し持約付き本銭返し)とよばれる契約が慣行で、数年の期限を定めて元利弁済の時に買い戻すという質権設定契約に近いものであったという。
なお、近世までは〈自由)は、わがまま勝手という悪い意味である。)
1.他国人の非官人に許した知行地をいわれなく奪って売却することは、頗る理不尽の次第である。今より今後これを禁止する。(註・他国人という理由での差別の禁止の意味であろう。)
1.正当な理由もなく古文書を根拠として名田の知行権を望むことは皆々に禁止してある。但し、正当な譲状が存在する場合は格別のことである。
1.借米の事、利息はその年一年間は契約によって定めた利率によるべし。
次の年から本米許り(註・単利計算での意味)で一石につき利米一石、五ヶ年の間に本米、利米合わせて六石と定めるべし。
同様に、本来十石の借米には利米十石、五ヶ年の問に本米・利米合わせて六十石と定めるべし。
(註・倍米の利息は初年度のみ当事者間の契約で定め、次年度から一年で二倍になる利息を法定利息とするということ。つまり、当時の債権債務契約は期限一年が原則だったらしく、この条文は期限切れ以後の利息についての定めであろう。)
六年におよんでも元利弁済の沙汰が無い場合は、契約時の奉行(註・斡旋仲介、調停をする第三者)ならびに領主に断って譴責(註・実力による差押)を行うべきである。
(註・現代法では強制執行は裁判所が命じた公権力に限るが、近世以前は債権者が私的な実力で行う.そのため、無制限な暴力的強制にならないようにこのような規定がおかれているのである。)
1.借銭の事、元利合計が元本の二倍になって後、二年間は貸し主は弁済猶予を承知すべし。
六ヶ年におよんでも元利弁済がない場合は、契約時の奉行(註・斡碇仲介、調停をする第三者)ならびに領主に断って譴責(註・実力による差押)を行うべきである。
その場合は米銭ともに利息のことは双方の契約次第で定めるべし。
(註・ここでいう利息は前項に言う初年度のみの契約時の利息である。つまり六ヶ年以上の延滞の場合の利息は法定利息が適用されず、契約利息によるべしということ。このことから、当時の契約利息は一年で二倍を越す高利だったと推定できる)
1.借金の質に知行を入れ置き、進退極まった末にあるいは出家遁世と称し、あるいは逃亡と称して大名(註・領主・この場合は今川家)に詫言を入れて救済を要求する者がある。
先年は庵原周防守がそのことを求め、譜代の忠功も黙視し難く捨て置けずとして、一旦は求めに応じて今川家が借金を肩代わりした。
〔割注・但し、今川家の直轄領地のうち焼津の郷を銭主(註・債権者)に遣わした。〕 今年〔割注・大永五年乙酉〕は安房守(注・名字は不明の安房守)がしきりに救済を言上しており、聞き入れられなければ御前を去り難くと申すので、一応は救済の下知をくだしたところである。
一家といい面々といい、一度はこの種の願いは聞き届けてきたが、今後はこのような覚悟をなす輩は所帯(註・領地・家屋敷)を没収するであろう。
(註・一家は今川家の縁戚、面々は父祖以来の家臣の名家というような今川家中の家臣の序列であろう。)
1.他人の知行地の百姓に譴責(註実力行使による借米銭の債務の差押)を行うことは、あらかじめ領主と奉行人(註・斡碇仲介、調停の第三者)に断りの届け出がなければ、たとえ正当の権利があっても不法行為として処罰する。
1.駿河、遠江の両国の港の津料(註・海上鵜輸送の商品の運搬税)また遠江の駄のロ(註・荷駄の通行税、すなわち陸上輸送の税の関所)は廃止した。
これに異議を唱える輩は罪科に處する。(註・従来 港や街道の関所の所在地の領王が徴収していた税を強制的に廃止させ、今川家が新たな方法で徴収するという意味。)
1.駿河、遠江の海岸に流れついた難破船は異議異論をはさまずに船主(註・所有者)に返還せよ。もし船主が不明の場合は、船の材木を大破した神社仏閣の造宮の資材として寄進すべきである。
(註・船材を私物化してはならないということ。次の項の流木に比べて扱いが違うのは、船は大きな財産であるということばかりでなく、船魂という神霊の宿る神聖なものであるという意味もあろう。)
1.河川の流木は知行にかかわりなく、流れついた土地の者の所有とする。(註・現代にもこの慣行が普及している。)
1.諸宗派間の宗教論争は今川家の領国内では禁止のことはすでに定めてある。
1.譜宗の僧侶が法系を継がせる弟子と称して、智恵の器量を糾さずに寺を譲り与えることは今より以後は禁止する。但し弟子の器量次第のことである。
1.駿河、遠江の者は私事として他国より嫁を取り、あるいは婿に取り、また嫁に出すことは、今より以後は禁止する。(註・敵国との通謀を防ぐ意味での私約な婚姻の規制。政略結婚などは私事ではないからあてはまらない。)
1.今川家の許可なしに他国の者が一度なりとも戦闘行為およびその他の軍事行動にくわわることも同様に禁止してある。
1.三浦二郎左衛門尉、朝比奈又太郎(註・ともに今川家家臣の筆頭者)の出仕の座敷が定まったうえは、他の面々(註・面々も殿中の座敷に出仕を許される家臣の家格の一つであろう。)は無理に席次を定めるにおよばず、それぞれが互いに判断してよいように計らうべきである。 総じて、弓矢のことでなくして遺恨を持ち合い、座敷の席次のことなどを気にする者は卑怯というべきである。
なおまた、神仏勧進の猿楽、田楽、曲舞などの見物の桟敷の席次は、今より後は籤引きで定めて沙汰すべきである。
(註・中世イギリスの伝説のアーサ−王の円卓と同じこと。急速にふくれあがる家臣団同志の軋轢を防ぐための措置である。)
1.他国の商人をとりあえずの被官人として契約することはすべて禁止してある。
(註・他国から入り込む商人は敵方にも通謀する危険があるので、この種の禁止規定は他の大名にも見られる。)
以上三十三ヶ条 右各条、次々と思い付くに従って今川領国のためにひそかに記しおいたものである。
最近は人々が小賢しくなり、思いもよらない争論も生まれているので、これらの条目を構えて、この適用により争いを落着させようとするものである。
したがって、条目の運用に依悟贔屓のそしりがあってはならない。
この条目にあるような事件が起こったときは、箱の中から取り出してよく参照して裁決せよ。
このほかに天下の大法として広く世問に行われている慣習法や、また、私的に今川家がすでに定めてきた個別の法規による規制は(註・すべて有勃であるので)ここに載せるにはおよばない。