三の巻:今川氏と黄金文化?
昭和57年(1982)11月、江戸時代に駿府城があった静岡市の駿府公園の一画で発掘調査が進められていた。
江戸時代の地層の下を更に掘ったところ、今川時代の地層にぶっかり池や庭園の遺構が確認された。
その中から梅の花の模様をかたどった黄金の板や中国製の青磁、白磁などの茶道具の破片多数が見つかった。
静岡大学・小和田哲男教授は「わずかな遺品で、今川文化を黄金文化とするのは、強引といわれそうだが、その他、金山の存在などから裏付けられる」という。
古代、駿河国は日本三大産金地の一つであった。「梅ヶ島村御金山申伝江」という古文書によると仁徳天皇の御代に黄金を献上したとある。金山の中心は、安部金山であるが、今川家六代義忠は文明四年(1472)支配者の狩野氏を滅亡させ金山を掌握した。
当時の金の採取方法は、「川金」、「柴金」であった。
この安部金山は、徳川時代へとつづき「黄金の富」を生み続けたのである。
そして、いま梅ヶ島・日影沢の金鉱山跡として観光地化され残っている。