七夕豪雨、静岡市を襲う


昭和49年7月、台風8号は梅雨前線を刺激し静岡県下に大雨を降らせた。特に静岡市内は日雨量508ミリという未曾有の豪雨に見舞われ死者23人という大災害を引き起こした。

当時の記録を、静岡市だけに、しぼって再録してみる。

台風8号
7月1日、沖の鳥島付近に発生。中心気圧965ミリバール、最大風速35メートルの大型台風
7月6日、日本上陸後四国、中国に集中豪雨が襲い死傷者多数出る。
7月7日、集中豪雨は静岡県西部から県下を縦断した。特に静岡市内では、8日、AM2:50〜3:50の時間雨量84.5mmを記録した。六百年に一度の大雨という。

大海原に浮かぶ県消防学校(現県立中央高校)


今回の雨量 昭和16年7/12
24時間雨量 508mm 255.5mm

静岡地方気象台に設置の雨量計による。



台風の被害(静岡市)

死者 負傷者 河川の決壊 床上・床下浸水 被災人口
23人 重傷5人、軽傷23人 152個所 23,000棟 83,000人


被害額:397億3,800万円(ただし、国、県、個人の資産被害は含まれない)
総被害額:推定600億円以上




8日AM2:15,巴川の支流長尾川右岸が決壊した。濁流は巴川をも逆流し、4,160戸を襲った。古くから恐れられていた巴川が牙をむきだしたのだ。





『あばれ水〜七夕豪雨の体験記録〜』
この記録は、静岡市南の印刷会社「文化洞」の経営者長竹竹雄氏の労作である。


長竹氏は、被災1か月後に早くも体験記発行を計画し、1年後の「7月7日」に体験記、データ、写真をいれた243ページの記録集を刊行した。




そのなかで、郷土史家漆畑弥一氏はいう。「・・・・・・・・・・戦前までは堤防は完全に薮だった。ことに曲がる個所など広い薮になっていた。だが今日は一本の竹も、一本の木もない。・・・・・・・・・川の堤防を裸にして道路を造ったりするのが、新しい考え方だとするのだったら、人類はやがて自ら人類を滅ぼす日が来るだろう。・・・・・・・・・・」





ふだんにぎわう古庄通りも水の中だ。

静岡県災害史にリンク(静岡県地震対策課編



引用文献