旧麻機村誌によれば「龍爪山系、通称滝谷、才光寺山麓ヨリノ細流ヲ合セ……一川アリ」、また駿府巡見帳(元禄16年、1703年)では「川水渦巻テ、巴ノ如シ。ヨッテ巴川トイヘルヨシ……」と記録しているように、特異な川であった。
源流は、現在茶畑が広がる静かな山里であるが、百数十年にわたる紛争の地だった。
原因は「秣場(まぐさば)」である。秣場は田畑の肥料にする草刈り場、燃料柴の採取地で各村の「入会山」である。
記録に残っているだけでも、百数十年にわたる争い「奥山一件」は、ここに終結した。
その各村の「共有地」も、時とともに役目を終え、しだいに民有地に変貌していき紛争も忘れ去られていった。
今は、源流近くまで住宅ができ、新しい住民は昔の苦難の道を知らない。