増善寺
概要:
守護大名今川氏親の菩提寺である。
氏親は領国を遠江まで拡大した戦国大名で、当時としては先駆的な検地をしたり、分国法「今川仮名目録」(武家の法律)を制定した。
1526年、氏親は56才の働き盛りに死去し増善寺で盛大な葬儀が行われた。
見所:
七代氏親は、今川家の歴代当主らが臨済宗系であるなか、例外的に曽洞宗に帰依していた。これは幼時に家督争いに巻き込まれた時の周りの縁者の影響と言われる。
夫人の寿桂尼(氏親没後に出家)は、公家の娘で、当時争乱で疲弊した京都を逃れ、駿府に下向する公家らが多く駿府は小京都をうたわれていた。
氏親の木像が残されている。今川文書は静岡市の文化財である。
住所:
静岡市葵区慈悲尾302 電話番号:054-278-6333
交通:
静岡市の北西に当たり、安倍川を渡る。市バスの便はない。静岡市の市営斎場の近くである。
|
古くは安倍七観音のお寺で、「慈悲王寺」と呼んだ。地名・慈悲尾の由来になっている。
今川氏親は、幼名龍王丸、父義忠が不慮の死を遂げたため、母北川殿とともに逃れ、後に北条早雲らの援助で家督を継ぐ。 |
|
隣国甲斐の武田、相模の北条という大名と巧みな外交を繰り広げ、領土を広げた。 |
|
氏親の葬儀の全記録が残されている。
この葬儀は戦国史上最大級であった。 |