観応元年(1350)室町幕府では、足利尊氏、直義兄弟の二頭政治が続いていたが、兄弟の内紛から全国的な争乱「観応の擾乱」となった。
戦いの舞台は、三度、駿河・手越河原(静岡市)の地となり、今川範氏は尊氏軍勢として出陣して敗色濃い尊氏勢を助け駿府(静岡市)を奪還した。

薩った峠と東名、国道1号

そして両軍が全面対決した薩った峠・桜野(由比町)の合戦では「一人当千の働きがあった」と尊氏の感状をもらうなどの活躍をして尊氏軍を勝利に導いた。


その恩賞として、父範国同様に遠江守護職が与えられ、また駿河守護も父に代わって獲得した。

安倍城の山を望む(静岡市西ヶ谷)


これより先に今川勢は、駿河南朝方の拠点安倍城(静岡市)を攻めた。城主狩野貞長ら狩野一族は駿河の山間地の山城を拠点に勢力を張り、今川方の進出を阻んでいた。

狩野貞長の墓


更に範氏は大津城(島田市大草)、北方の徳山城(中川根町)などを落とし、南朝方を駆逐して駿河の今川の勢力を不動のものにした。

そして大津城に居館を設け領国経営に着手した。

花倉城跡より志太平野を見る


やがて範氏は東に進み葉梨郷(藤枝市葉梨)に花倉城を築き麓に居館と家臣団の館をめぐらす城下集落をつくった。

花倉城跡の山 本丸跡


葉梨郷は、三方を山に囲まれた袋のような盆地で守りやすく、背後には後づめの城を持つなど軍事色が強い城下集落であった。

今川範氏の墓所


範氏は、父に先立ち50才で死去した。墓所は大津城跡といわれる慶寿寺(島田市大草)にあるが、慶寿寺は「しだれ桜」(静岡県指定天然記念物)の寺としても知られている。

慶寿寺のしだれ桜 家紋「丸に二つ引両」


また寺の正面には、今川家の家紋「丸に二つ引両」が黄金色に輝き、由緒ある古刹のたたずまいを見せている。

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