臨済寺で今川義元忌
静岡市葵区にある名刹臨済寺で、2008年5月19日戦国時代に駿府を統治していた今川家9代の今川義元の年忌が開かれた。
永禄3年(1560)2万5千の軍兵を擁した今川義元は西上の途についた。
だが桶狭間の地で織田信長の急襲にあい討ち死にした。
この日5月19日は、義元の命日である。
義元の遺骸は、首のないまま家臣たちによつて国元に運ばれた。
途中の東三河で、敵の追撃にあい、やむなく一色城内の大聖寺になきがらを葬った。
一方主君の首は、家臣の懇願により信長から返された。
そして駿府の天沢寺(廃寺)に葬られたが後に臨済寺に移された。
この日の法要は、臨済寺の阿部浩三老師が導師を務めしめやかに営まれた。
そして、不運にも志半ばで倒れた敗将の霊を慰めた。
法要には、臨済寺の檀徒、今川家にちなむ歴史を愛好するひとたちら大勢が参列し関心の深さをみせていた。
今川義元は、敗軍の将として暗愚であったなどと世上の悪評を受けている。
実際には政治、軍事に卓越した手腕を見せた人物で他国からも評価されていた。
このような不評は、江戸中期の創作と考えられている。
臨済寺の境内には
今川義元を祭る今川神廟がある。
廟内には、義元の位牌をはじめ三つの位牌が安置されている。
そこには、静謐の空間と時間があった。