倭建命の東征秘話 |
報告:ピリカ シズカ |
「古事記」によれば、倭建命(やまとたけるのみこと)は西の熊襲征定につづき東の荒ぶる神どもの征服を景行天皇から命じられた。
その途中、駿河の焼津で、この地の国造の謀反にあい野火に攻め立てられたが、草那芸剣で草を切り払い難を逃れたという。
われらが「投げ文艶草紙」は、これは偽りだとしてこの地に伝わる真実の伝書を明らかにする。
その日は、初春の穏やかな日差しが野山にあふれていた。草原には背丈ほどの枯れ草が残り、ところどころに若草が芽生えかぐわしい香りに満ちていた。
若い男は新妻を愛でていた。
やわらかな陽光と微風が、ほとをなで若草をそよがせていた。男は花陰の突起を愛で愛液を啜りあげた。あたりには野草と愛の芳香がただよい、遠くの不二の山は、白い噴煙をたなびかせながら二人の絡み合いを見下ろしていた。
男はこの地の国造の世継ぎで、新妻は東国の夷(えみし)の族長の娘だった。
国造と族長の堅い結びの象徴である婚礼の祝いは、三十日余もつづいた。二人はやっと開放され、夢中で愛を確かめ合っていたのだった。
「何だ、おまえどもは・・・・」枯れ草の間から怒声が降ってきた。
見上げると、鉄の甲冑に身を固めた武人がいた。
景行天皇の皇子倭建命の東征軍の武将だった。駿河に着いた軍勢に若い二人は捕まったが親の国造の嘆願で許された。だが難題が待ち構えていた。
「なに・・・娘を差し出せだと・・・」硬玉、碧玉の首飾りと幾重にも巻いた腕輪、さらに数面の銅鏡を胸にぶら下げた族長はわめいた。
かたわらでは、巫女が神がかりして、胸乳をかき出して裳緒を、ほとにたらしたまま舞いつづける。
「ご神託だ・・・人柱だ・・・」また族長がわめいた。
その夜、武将は娘の待つ小屋を訪れた。
娘は、山蛾の繭で織った白布に包まれて寝ていた。その臥所の後ろには、天井にまでとどく白木の丸柱が立っていた。
「愛しい娘よ、恐がるでない。いずれそなたを、都に連れ申そうぞ」
武将は、ゆっくりと白布をはいだ。天窓からもれる月明かりが白い裸身を浮かび上がらせた。
武将の目に飛び込んできたのは、鮮血である。花陰は抉り取られ真紅の牡丹の花が咲いたようだった。
怒り狂った武将は、外へ飛び出すと腰の剣を抜いて、あたりの枯れ草を手当たりしだい、なぎ倒しはじめた。剣は月光を受けギラリギラリと光る。みるみるうちに小屋のまわりには枯れ草の山ができた。懐から出した石を剣に打ち付けると、火花が飛んだ。
枯れ草についた火は、あっという間に燃え広がり、小屋は猛火につつまれた。飛竜の吐く火は村落の家々にも迫りはじめていた。
若い男が、大事そうに小脇に壷を抱え不二の峰目指して飛ぶように駆けていた。
「だれにも・・・わたさないぞ・・・」
壷の中には、真っ赤に彩られた花陰があった。
野火は、三日三晩燃え続けた。
倭建命の東征軍は、国造と族長と和睦し、何事もなかったように東に進んだ。
小屋の跡には、白木の丸柱が不思議にも焼け残り堂々と立っていた。人々はまわりを垣で囲い、神木、御柱と呼び崇めた。
だが、不二の峰目指した若い男の行方はわからない。
また、倭建命が叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)から授けられた草那芸剣の活躍の事実も残っていない。
copyright ishikubo@tokai.or.jp