古文書「五人組帳」を解読し出版静岡・瀬名の研究会が2年がかりの労作このグループは、静岡市瀬名の西奈公民館に集う「静岡古文書研究会」のグループ10人で、昔の瀬名村の庄屋(名主)中川雄右衛門家に伝わる古文書「五人組帳」を2年がかりで解読し、A4版220ページの「瀬名村の五人組帳」を出版した。
この報告は、同書からの抜粋である。 静岡市瀬名地区は、弥生時代の古墳などの遺跡もあって、ここから「五百原□□西奈」(いほはら、せな)と書かれた奈良期の木簡が見つかるなど古くから開かれた土地であった。 下って江戸時代、大名、旗本の知行地となった瀬名村は、庄屋(名主)中川雄右衛門家が采配していた。 古文書「五人組帳」はいくつかあるが、研究会では「明和七年(1770)」と「明治五年(1872)」の2冊を対比しながら解読している。 瀬名村の「五人組制度」は平均6.2戸の村人たちを1組にまとめているが、江戸期の一般的な五人組制度は、宗門改めと農民を土地に縛り付ける人口移動統制を主にし、年貢納入義務、相互監視などの封建的統制を図りながら隣保相扶を大切にしていた。 この制度は血縁的、地縁的な共同体をつくるだけに、明治維新後も残存し、太平洋戦争の戦時体制下には「隣組制度」に変貌した。 <五人組帳の種目別条目構成>
「瀬名村の五人組帳」の問い合せ: 静岡市瀬名2-30-60 三浦和男方 TEL&FAX:054-262-8456
安政四年の道中記政えんどんの旅日記を出版平成8年2月16日、静岡市瀬名の旧家山田政次さん方から発見された「山田政右衛門・道中日記」は、安政4年(1857)に瀬名村の山田政右衛門さんと隣家の玉川勝五郎さん、それに政右衛門さんの義弟片岡芳次郎さんの3人が伊勢、金毘羅山、京、大阪などを、41日間にわたって見物した道中記である。この道中記は昔の機織機を探す最中に偶然発見された貴重な一次資料であることがわかり、発見者の石脇孝三さん(静岡古文書研究会会長)らは、解読と現地調査などの研究を続け、平成11年10月にその成果を刊行した。 このページも、「政えんどんの旅日記」を抜粋引用しながら、政右衛門さんら3人の道中を追ってみた。 参詣・見物旅行ルート山田政右衛門さんら一行は、安政4年(1857)正月5日に出立し、同年2月16日に帰宅した41日に及ぶ長旅である。<旅程1>瀬名→金谷→秋葉山→蓬莱寺→新城→岡崎→宮→桑名→津→伊勢→奈良→高野山→大阪→→田の口→丸亀→琴平→明石→西宮→大阪→京→大津→草津→関→桑名→佐屋→宮→岡崎→→新城→舞阪→金谷→瀬名
山田政右衛門さんら一行は、厳しい寒さの中の旅であるが、貪欲ともいえるほど熱心に各地で参拝、見学をする旅で、江戸末期の庶民の旅が諸祈願成就の信仰中心の旅から物見遊山の要素の濃いい旅に大きく変貌してきたことが確認された。 <旅程2>政右衛門さんら一行は、全行程約1600kmを41日間で踏破した。この内舟や京見物などの日を除くと、実質移動距離・日数は、約1260km、32日間であり、一日平均の歩行距離は、約41kmとなる。振り分け荷物を肩に連日歩きつづけた健脚ぶりには驚かされる。これは、1時間当たり5km余の速さとなり信じられないスピードだ。 <旅費>道中記では、旅費の全てが記録されていないので推定した。1)現金支払い(旅篭、食事、渡船など) 5236文 2)推定支払い(旅篭、食事、渡船など) 12259文 3)その他経費(わらじ代、嗜好品、雑費) 13560文 合計で、31055文(金で約5両)であるが、研究会では1人当たりでは倍の10両を超えたと見ている。 金10両だが、換算すると米約6石で、現在の米価に直すと、36万円となる。 41日間の長旅の代金は、36万円・・・・安いか高いかの判断は、あなた次第である。 |