碑に日く 大杉栄は明治18年軍人の家に生まる。

 陸軍幼年学校を放たれ、外国語学校仏語課に学び、日露開戦に際し非戦論に共鳴して社会主義者となる。

資性剛毅歳華煥発。

無政府主義の一派を拓いて政府の弾圧に屈せず、幾度か牢獄の苦を忍び迫害の鉄火を践めり、大正11年日本脱出、仏蘭西革命故国送還の波瀾を経、関東大震災に遭遇して妻の伊藤野枝・甥橘宗一と共に軍憲の為に虐殺せられた。

 惜しむべし雄志逸材むなしく中道に潰ゆ。

荒畑寒村撰


大杉栄は1923(大正12年)9月16日虐殺された。
1885年1月17日生、享年38歳
妻野技 1895年1月12日生、享年28歳
甥橘宗一 1917年4月12日生、享年6歳
この遺骨を翌年5月25日この地に収む。

 
1976年9月16日 大杉栄らの墓誌建立委員会
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