善得寺
概要:
史跡 善得寺跡である。
善得寺は貞治2(1363)年、下野国那須(栃木県羽黒町)雲巖寺の大勲策禅師が開山した寺であった。
戦国期には駿河国東部でも第一の寺となり、ここに今川氏の善得寺城あったといわれ、北条早雲が拝領したという記録があります。
また、天文年間の今川義元・武田信玄・北条氏康の駿河国東部を中心とした抗争のなか、今川義元の軍師であり、善得寺の住持であった太原雪斎の斡旋で成立した「駿甲相三国同盟」の舞台になったところだと伝えています。
しかし、永禄12(1569)年2月、武田信玄の駿河侵攻にともない寺院はことごとく焼かれてしまいました。
ここには、明治初年まで再建された善得寺の小堂宇が残っていたところで、富士市指定文化財の大勲策禅師、太原雪斎をはじめとする善得寺歴代の住持などの墓が残っています。
見所:
公園の中には、三つの石が置いてある所がある。ここで三国同盟を締結した、甲斐、駿河、相模のそれぞれの石が置いてあり、3つの国の武将が会談したイメージを伝えています。
住所:
富士市今泉五丁目
交通:
バス停 渡辺病院前下車、徒歩15分。入り組んだところにあるため、近くの今泉公民館で尋ねるといい。
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善得寺公園入り口の石段 |
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