今 川 了 俊

 今川了俊(いまがわ・りょうしゅん)遠江守護、歌人、歌学者。駿河の守護今川範国の二男。
名は貞世、了俊はその法号。
足利義詮、義満詮の二代に仕え、遠江の守護、足利幕府の引付衆頭人から九州探題になり、1371年(応安四、建徳二)から二五年間九州経営に尽くしたが大内義弘の「そしり」にあって解任され、駿河の守護に左遷された。
のち上京して仏道、歌道に精進、晩年は袋井市の北郊堀越に退隠した。海蔵寺(袋井市掘越)に墓がある。
了俊の系統を遠江今川氏と言い、のち掘越氏と称した。
歌は冷泉為秀の門で、晩年多くの歌論書を著し、その他弟の今川仲秋を訓戒する為に書き与えた「今川状」(今川壁書)、「太平記」を論難した「難太平記」も世に名高い。 
(小和田哲男・南 信一)

戻る