親子で砂金採りにチャレンジ

2009年8月16日(日)「親子で砂金採りにチャレンジ」という体験講座が、静岡市梅ケ島地区で開かれた。

この企画は、NPO法人静岡県自然史博物館ネットワーク、国立科学博物館(東京)、静岡大学の共同企画で行われ、親子9組22人が参加した。


参加者は、最初砂金採りの初心者コースとして知られている梅ケ島地区日影沢に入った。


そして国立科学博物館の横山一己グループ長から砂金採取のコツを聞いた後スコップ、金てこ、そして専用のザル(ユリボン)を使って早速砂金採りに挑戦した。

横山さんの話によると砂金採りのコツは、砂金の比重が砂より重いことから、岩の間のくぼみの砂の中にたまる、野草の根の間にたまる、これを体得することだそうだ。




特に山が荒れた後は確率が高いという。


大水の後などは山から金鉱石が流れ出し、岩が砕かれ中から自然金が出るそうだ。



そこで親子たちは懸命にザルの中に砂をすくい、ゆすって、選り分けて、砂粒よりも小さい砂金を見つけようと懸命である。


安倍川や大井川の中流から上流は、中世から金が産出する地域と知られ、金場、金山の地名がある。
当時駿河から南朝勢力を駆逐した今川氏は、ここに目を付け、いち早く金山の利権を握ったといわれている。

そして7代当主今川氏親(うじちか)は、それまで砂金中心だった安倍金山開発を坑道をうがち金鉱石を採掘するという最新技術で金の産出量を飛躍的に増やした。

次の図は、安倍川、大井川流域の金産地であるが、かなり広い範囲だったことがわかる。
ここをクリックしてください。(PDF形式)

この坑道掘り技術は、永正13年(1516)の遠江引馬城(浜松城)攻略で用いられ、金堀衆が城の下に坑道を掘り城の井戸を涸らし、落城させたという記録がある。

金は採取された場所で名前が付けられた。
「川金」は川や沢の中から採取された砂金である。
「柴金」は古い時代の川原であった河岸段丘を掘って砂金を採取した。この「柴金」は露天掘りで掘り出した土砂を樋で引っ張ってきた人工の水路で分別し砂金を取るという大掛かりな工法であった。
「山金」は金鉱脈を露天掘りしたり、坑道を掘ったりして産出した金鉱石を砕いて金を取り出し工法である。
今川氏の時代には、「灰吹き法」と呼ばれる鉛を使った工法で金を取り出していたが、徳川時代になり水銀を用いたアマルガム法が導入され生産量が増大した。しかし水銀中毒が坑夫たちを悩ましつづけていた。






砂金採りに挑戦した親子たちは、午後からは、少し下流の関之沢に場所を変えて採取を続けたが、採取率は、ここのほうがよかったようである。



この砂金採りの参加者は、圧倒的に父親と息子組が多く「砂金採りのロマンは、男のロマン・・・」の感を強くした一日であった。



富士川支流の砂金(個人蔵)
「黄金の国ジパング」より

◆「砂金採り道具」についての問い合わせ先:

株式会社 ニチカ  (旧社名 日本地科学社)
〒604-0943 京都市中京区上白山町252(麩屋町御池上る)
TEL :075 (222) 2263FAX. 075 (222) 2299
URL:http://www.nichika-kyoto.com/

◆「NPO法人静岡県自然史博物館ネットワーク」
URL:http://www.spmnh.jp/

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