弘化請証文(弘化3年9月25日


弘化3年(1689年)、山元村から訴えがあった。
それによると入郷村の農民が「秣場」に入り込み草木を刈り取っているという。

以前の「秣場」の線引き、区域が決められてから150年余(元禄2年)になり、幕府では大勢の役人を派遣し、大掛かりな線引きの確認作業を始めた。

(解読は、上段が古文書で、下段が翻字である。)

古文書は,長々と続き、訴えの詳細、紛争の経過を記録している。

そして幕府から裁定のあった「元禄度御栽許(1689)」を、改めて確認し関係村々が受け入れた。

最後に村々の名主らが署名押印して、御評定所に提出したのである。


秣場紛争は、明治に入っても続いた。

「静岡市史」、「旧麻機村誌」によれば、奥山一帯を民有地に払い下げる際に事態は紛糾し、静岡地方裁判所、東京上等裁判所(二審)、大審院(最高裁)まで争ったいわれている。

その村々の「共有地」も時とともに秣場の役目を終え、次第に民有地に変貌していった。
今では、巴川の源流近くまで住宅が立ち並んでいる。

この新しい住民たちは、二百数十年続いた苦難の道を知らない。

「竜爪山の秣場〜駿州庵原郡瀬名村〜」

編集者:静岡古文書研究会
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