徳願寺

概要:

6代今川義忠の夫人北川殿は、静岡市の北西に位置する徳願寺山の中腹にある徳願寺に葬られたといわれている。

北川殿は、伊勢長九郎長氏(後の北条早雲)の妹で、父親は京都にいた伊勢備中守盛時(貞藤)という。北川殿は、応仁の乱の際、東軍として上京してきた義忠と結ばれたのである。

見所:

応仁の乱は10年に及ぶ天下の大乱であったが、義忠は、1年そこそこで京都を引き上げ、帰国した。だが、義忠軍に国人一揆が襲いかかり義忠は流れ矢であえない最後をとげた。
後継をめぐって今川一門は分裂し、北川殿は嫡子竜王丸を連れ、駿府の西に逃れた。やがて兄伊勢長九郎の尽力で竜王丸は7代当主となり氏親と名乗った。

しかし晩年の北川殿に再び苦難が襲った。息子氏親の死であり、今川家の実権から遠ざかっていった。
その時、連歌師宋長と共にさびしい境遇を慰めあうさまをえがいた「宋長手記」が残されている。

徳願寺は、もと大窪寺といって真言宗の道場であった。
境内には、苔むした五輪塔や墓石が多く、在りし日の栄華を伝えている。

住所:

静岡市駿河区向敷地689    電話:054-259-7304

交通:

バス・中部国道線、細工所入り口下車、徒歩30分、登り口は分かりにくい。
急な農道だが、舗装されていて、車で行ける。
徳願寺山門 山門からの静岡市内
境内の苔むした石像

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