どこへいった今川の遺宝

1999年11月6日、静岡市で「県立総合博物館を考える県民の会」の設立総会が開かれ、静岡大学の大和田哲男教授は「どこへいった今川の遺宝」のテーマで記念講演をした。その講演内容を要約する。

大和田哲男教授



永禄11年12月13日(1568)、武田信玄の軍勢は、駿府に攻め入り今川館を焼き払った。今川氏真らは山間部沿いに掛川まで落ち延びたが財宝を持ち出す余裕はなかった。また館の焼討ちで多くの財宝が灰燼に帰した。

常山紀談(江戸期の逸話集)より
信玄は駿河に攻め入る時、早く今川館に行き名物の宝物を奪えと下知した。
馬場美濃守信房、只1騎で館に入り火をかけ焼き払った。これは「宝物を奪う貪欲な戦と、嘲られる」と考えたからである。



流転の遺宝

名古屋の徳川美術館所蔵の「千鳥香炉」、蓋に千鳥がのった青磁の香炉。足が不揃いで置くと振動でカタコト動く。
もとは、連歌師宗祇が珍蔵、今川氏に渡り、国を失った氏真が織田信長に献上した。その後は未詳だが、秀吉、徳川に渡ったと思われる。

「宗三左文字の刀」は刀匠正宗の弟子の作で国の重要文化財。もとは三好宗三の所持で、武田信虎に贈り信虎から今川義元に贈られた。
桶狭間の戦いで義元が所持していたが戦死したことから戦勝記念として徳川家康に渡り秀忠へと流転した。現在は京都市舟川の建勲神社にある。

その他画像、木像などがあるが今川氏の遺宝は、少ない。
新発見の物では、久能山東照宮博物館の小林学芸員の発見した「今川氏真夫妻」の画像(アメリカ・個人蔵)が注目された。

いずれにしても、未発見の物も多いと思われるので、今後の研究・発見に期待したいという。

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